知っていた方が良いのか?、
知ら無い方が良いのか?、
此れって、難しい問題なのでしたね。
無論、ケースバイケースで、状況次第ですが ... 。
無知の知、
無知を自覚することこそが、真の認識に至る道、
と語られますね。
知らない事を知っている ... 。
此の表現、時に、婉曲して、
敢えて無知でいる事がひとつの知、
なんて とんでも無い 使われ方 をしたりして。
無論、誤 な訳ですが ... 。
実は此れ、知らぬが仏 の 焼き直し。
個人的には、割と、しっくり なのですが ... 。
ううっ、とんでも無い発言か ... ?。
殊にそう思うのは、欲望との絡みの時。
知っちゃうと欲しくなるのは 人の常 。
目を瞑り耳を塞いで、
情報を拒絶していれば、
要らぬ 欲望 に 右往左往する事 も無し。
平穏な日々が暮らせると言う 生活の知恵! 。
何せ、欲望には きり が無い ですから。
わかっちゃいるけど やめられねぇ の 世界。
知の愚か。
悟りの境地に達していれば、
情報は多いに越した事はありません。
しかし、多くの凡人に取って、
物欲や欲望の引き金になる事も多く、
其の思いは知れば知る程に増大して行く訳です。
身の程を超えたケースも散見され、
自分と他人は違う の 大前提 すら超越して ... 。
困ったものです。
更に、そんな数多の情報、
全てが正しいとも限りませんし、
誇張や偽善すら入り込む余地が十分!。
人の弱みに附け込んで、煽るものすら。
其れは極論としても、
情報の取捨選択や吟味は必要ですよね。
殊に最近、
情報は 玉石混交で 世に溢れ返っていますから。
振り分けるのにも、或る程度の知識は必要ですが、
なかなか、白黒判別は難しく、
灰色が混入するのが 常 でしたね。
思い入れや思い込みの所為で、
判断基準があやあふやになって仕舞い勝ち です。
そんなこんなで、
いっその事、
知ら無い方が 幸せ と思う事も 屡々。
探求心 は 良い事 ですが、
振り回される のは 避けたいもの。
ほんに、知るとは難しいものでありんす。 ;)
0 件のコメント:
コメントを投稿