2016年2月28日日曜日

第60回 ありがたや ありがたや

ありがたい。 そう、めったに遭遇しない物事や行いに対して感謝の念を伝える時に使う言葉ですね。
してくれて ありがとう。  あってくれて ありがとう。  いてくれて ありがとう。  そんな感覚。
思わず、両手を合わせて、  ありがたや ありがたや。
その、擬似体験 と迄は行きませんが、 何となく、 分かった様な経験をしました。


観光名所は数限りなくありますが、
昔から有名な 所謂 古より著名な場所 は、信仰と結び付いている場所が少なからずあります。

普段の生活を離れ、風光明媚な景勝地を訪ね歩く そう、 観光旅行 ですね。

その雄大な景色を眺めていると、感動を体験出来ます。
凄いなぁ~。  綺麗だなぁ~。  珍しいなぁ~。
まぁ、普通は、(私も含め) 、 カメラでも取り出し 観光写真 や 記念写真 に収めて、 おしまい です。

でも、 本当に感動した一部の方は、
その 漲る 力 に 肖りたい と思うのですね。
そうです。  今、流行のパワースポットもそうですね。

めったに見られない ものに 畏敬の念 を抱き、
その力の一部を お裾分け して貰おうと。


例えば、神社。
何かを お祀り している訳ですが、
本殿とは掛け離れた場所に、奥社があり、そこに、ご本尊が祀られている場合があります。
山岳信仰や 唯物信仰と繋がっている例は数多です。

そんな中、今回、 鍾乳石を御神体として祀る神社 を訪れました。
奥の院は 険しい山道を歩いた先の 切り立った崖に へばり付く様に 創建してあります。

よくもまぁ、 こんな険しい崖にお社を建てたものだなぁ と感嘆してしまいます。

そして、設けられた急峻な階段の先の その お社の奥には、 御神体。
神様仏様に見立てられた鍾乳石が 小さな鍾乳洞の中に おられました。
その鍾乳洞を保護するかの如く、お社が建っているのです。  創建は苦労の連続であったろうに!。

鍾乳石。  見ようによっては、 単なる 風変わりな 石コロ な訳ですが、
そこに、 仏様 神様 の お姿 を見出したのですね。


見立て は、日本文化の重要なポイントです。
  何かに擬える。
  その中に 別の姿 を見る。
  想像を膨らませる。
これこそが、唯物神が数多おいでになる その理由です。

見詰めていると、 確かに、そう、見えて来る!。

はは~ん、 これが、 ありがたや ありがたや なんだぁ!。


滅多に無いから、 有り難い 在り難い ありがたい。
自然の不思議に共感し、 創造の神秘に驚愕し、 その類稀な存在比率に慄く。
その希少な お姿 を見られた事、 それだけに 感謝。


本来、 力を分けて下さいとか、 肖りたいとか、 お願い事を唱えるとか、  そんな事は 実は 二の次。
これらが目的になっては、本当の、 ありがたさ は見えて来ない気もします。
信仰は ありがたや を広める行為。
の気がします。  (信仰していない証拠かも ... 。)
ありがたや を感じられるかどうかは 詰まる所 各個人次第。

それを作った自然に 見せてくれた自然に 感謝 なのでしょうね。
ありがたいもの だから 大事にしなくちゃ。  という訳で、 苦労を苦にせず、お社を創建。
ありがたいもの を お守り する。

これが、 ありがたや だったのですね。




思わず手を合わせてしまう そんな 行為こそ、 ありがたや なのです。
数ある観光名所の幾つかは そんな 感動 がきっかけで、 後世に伝わっているもの なのですね。
果たして、その幾つを自分が感じ取れるかというと ... う~ん、 反省。  大いに、 反省。

   そう、 鈍っている 自分の 日本の心。  あぁ、情けない ... 。



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