2018年7月7日土曜日

カメラに思う事  2018/07(七夕に祈ろう)

メインカメラが変わって、もう直、1年になろうとしています。
残される 記録としての 絵 のレベルは ... そうは変わりませんが、
自己満足の観点からは 進歩したと思っています。  いえ、思いたいです。
では、更新直後の 熱の醒めた処で、カメラについて ... 。


カメラは着々と進歩を続けています。
最近、巷では、やれ、ミラーレスの時代到来とかと、浮かれています。

しかし、想うのです。

どんなに良いものが出て来ても、
そのカメラで撮るのは、将来の出来事です。

昔に戻って、撮り直せる訳ではありません。

はい。
小さくて可愛らしかった あの子 も、育っちゃって、嘗ての面影は何処へやら?。
お若く ぴちぴち だった あの方 も、萎びちゃって、今では、見るも無残な ...?。

あはッ。
冗談がきついですね。
でも、少しは、当たっています?。


そうなのです。
昔撮った写真は、変わらぬまま、其処にあります。

今後、仮に、同じ様な場面に出喰わしても、嘗てと同等かそれ以上のものとは限りません。

昔の写真を眺めながら想うのです。
その場所に、今のカメラを手に取って立っていたらなぁ~ と。

そんな事は出来ないと承知しているからこそ、切望したりします。

はい。
盃から零れた水は元には戻りません。
水がお酒なら、 口を擦り付けて、 啜(すす)っちゃいますか!。


さて、
メインのカメラが変わって既に1年近くになりますが、
未だ、自分の分身 と言った感覚には到達していません。
飲み込み が 遅い 我が習性 を恨む訳では無いのですが、
使い熟す の レベル からは 程遠い 気もします。
基本的な使い勝手にそうは違いが無い筈なのに、 この ざま! です。
しかし、 カメラの進歩の恩恵には与っているのが分かる分、
このカメラを持って昔に還れたら! と想うのです。
そう、 良いカメラである と認めています。


これからも、カメラは 着実に 進化して行くでしょう。
更に、便利に 綺麗に 失敗知らずに と。

でも、
進んでしまった時計の針を逆に廻す事は出来ません。
今、撮る事が、一番、 重要で 大切です。
不満や欠点 があろうとも、設定ミス があろうとも、腕に至らなさがあろうとも、
撮って残さなければ、物事は始まりません。
そして、
その 出来の悪い子達 に、 馬子にも衣装とばかりに、 身なりを整えてあげる 事も忘れてはいけません。
如何に撮るか は重要なテーマですが、
如何に直すか も忘れてはいけないテーマです。

表現 と言う意味に於いて、
素材(被写体と撮影結果)が素晴らしい事は勿論ですが、
如何にその素材を料理するか を考える時なのかも知れません。


機材を替えて思ったのは、
これって、画像編集に長けていれば、昔のカメラでも 似た様な 表現が可能なのでは?、 と言う疑問です。
勿論、
材料が優秀ならば、そのまま 生 でも ご賞味 戴けます!。
しかし、 料理の腕を磨けば、 そこそこの材料からも 美味 は引き出せるのでは?、 と言う 妄想 です。

カメラを自由自在に操り完璧なものを紡ぎ出すのが カメラの名人 なら、
写真の名人 は その素材 から 自分の思う 絵 を まるで魔法の様に 叩き出す ... 。
どちらも 大切 なのだろうなぁ と ね。
そう、 両輪が揃って、初めて、 写真の醍醐味を味わえるのだろうなぁ と。


はい。
今日は 七夕 ですね。
短冊にこう書いて お祈りしましょうか!。

  いい写真が 撮りたい!。.   :) .

そう、 写真を撮る とは 撮影 ばかりでなく その事後処理(編集)も含めて、
一連の行為 なのです。

  本来は、 いいカメラが欲しい! と書きたい処ですが、
  どうせ、 機材を替えて結果としての 写真 が変わる程の 腕前の持主 では無いですし ... 。
  手持ちの最新機材が 手となり目となる 事が 目下の 最優先課題 でもあります。

  でも、 巷のカメラが進化して行く様子を眺めていると、 楽しめるものです。
  果て無い 夢 ですね。
  機材を替えれば 腕が上がった様な 錯覚 を 味わえる、謂わば、 蜃気楼 を眺めている様なものです。
  そんなカメラを手に取り絵を残して行く 将来の夢 が 幻 にならない事も 序に 祈って ... 。



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