街並みを見ていて、気付く事があります。
時代時代で、建物やインフラに変化がありますが、急激には変わりません。 普通は。
でも、長い目で見ると、 思いの他、変わっていて、驚かされる事も、しばしば。
今回は、電線についてです。
そう、電線に触れてみましょう。
あっ、実際に、電線にタッチして(触れて)見る訳ではありません。 危ないですし。
いくら、私が刺激不足でも、そんな馬鹿な事は しません。 よね。
実は、最近、街の写真を撮っていて、気付いた事があります。
以前は、画面から電柱や電線を追い出す事に 注力 していました。
今も、基本は、変わりません。
でも、撮った 絵 を眺めていると、 大きな変化に気付かされます。
極稀ですが、 最近、 電柱や電線を積極的に取り込んだ 絵 がある のです。
被写体として捉えているものが存在するのです。
あれ程、嫌っていた 電線や電柱 なのに ... 。
昔なら、絶対に、カメラを向けはしなかっただろうに ... 。
勿論、さぁ 今日は電柱電線を撮りに行くぞぉ~ と迄はなりませんが、 ね。 序でです。 ついで。
さて、話は変わり。
かなり昔から、電線の地中化 は行われていて、
街の観景を美化したり、 保線作業を軽減化したり、 火災等の防災効果が得られたり、 と、
都市計画的には いい事 が多いみたいですね。
嘗てなら、 大規模開発や観光資源目的で、 実施されていたので、
既存の街では、あまり、これとは、関係がなかったのですが。
でも、ここ最近、 電柱のない街並みが、 とても、増えて来た、という印象を持っています。
全ての街から、電柱が消える事は無いでしょうし、 高圧送電線は架空式のままでしょう。
しかし、 各街の 主要幹線沿いが 無電柱化 するのは、 時間の問題かも知れません。
えっ、そちらの街では、もう、電柱なんか ない って、 ... 、これは、失礼しました。
日本人の習性として、 無くなるとなると、猫も杓子も騒ぎ出す 傾向があります。
後、何十年かすると、電線の張り巡らされた街 が、郷愁を呼ぶ観光資源になる時代が来るのかも知れません。
そう言えば、 嘗ての街並みを見掛けると、つい、撮ってしまう。
例えば、赤くて丸い あの 郵便ポスト の様に。
あれって、なくなる前なら、 見向きもしなかった様な気が ... 。
あれと同じ事が、そのうち、電柱にも ... 。
まぁ、冗談はさて置き、 電気や通信 は ありがたい もの です。
それが、地下に潜れば、 直感的に その恩恵を 視覚に訴える機会 は減ります。
あるいは、そんな理由から、自分の中でも、 最近、電柱や電線を被写体とした 絵 が少し増えたのかも、と、思っています。
あるいは あるいは、 デジタルによって安易にコマ数を増やせる様になった事も影響していそうですが。 直ぐに、消去出来ますし。
どうも、そろそろ、なくなりそうだぞ! と、 心の中の もうひとり の私 が、 振り向かせているのかも知れません。
なくなってしまってからでは、 探すのも大変だし、
単に、 お~ 懐かしいね でしかない 絵 になりますから。
まだ、沢山残っているうちに、 少しでも、心に残る光景を残して置こう と言った 少し厭らしい下心 が、
あれ程、写真に入り込むのを嫌っていた私に、変化を齎しているのでしょう。 きっと。
嫌だ嫌だ を棚に上げて。
だって、電気や通信のお陰で、こうして、写真を撮り 発表する機会が得られている のですから。
この変化に一番びっくりしているのは、他ならない、私そのもの です。
ん~、知らぬ間に、 変われば、変わるもんだなぁ~。
一番変わったのは、街の姿ではなく、自分の姿勢 なのかも知れません。
そう、近々、 みつけた_とらえた_ときめいた: の方に 件の絵をアップする 予定でいます。.
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