写真 って、一体、何なのだろう?。
記録?。 思い出?。
どうして、 みんな、 写真を撮るのが好きなのだろう?。
写真の原点を考えて見ました。
写真の原点。
それは 残して置きたい と言う願望 なのでしょうね。
技術も芸術性も そんなものを全て棚に上げて、
後から 見る 為に 撮影する。
それに尽きる気がします。
最近、 NASA さまの公開なさっているサイトに 首ったけ です。
大昔、まだ、幼かった頃に見た あの画像 が、 そこにはあります。
記憶の中で、書籍やテレビで見た あの画像 が あります。
NASA と言えば、 月面探査のアポロ計画 や スペースシャトル計画 が有名です。
皆さんも これらの映像は必ず何処かでご覧になっている事と思います。
これらは、通常は見る事の出来ない世界を垣間見る事が出来る 夢物語の実現 であり、
心トキメク 事件 でした。
凄いなぁ~ と見入ったものでした。
でも、 普通は、 それらの画像は 一瞬 目の前を通り過ぎて行くものに過ぎません。
記憶の奥底に仕舞われて、時の流れと共に、朧になって行きます。
NASA さま の数々の著名な画像に限らず、
私達の目にする景色 や 大事なあの人の姿も 同じです。
瞼の中に焼き付けた(焼き付いた)姿も、 時の経過によって よくは思い出せなくなります。
もう一度、 見たい!。 会いたい!。.
それは、人間の切なる 願望 なのでしょうね。
女性の若く見られたい 欲望 と似ています。
歳と共に変わって行く、衰えて行く、 それに抵抗したい!。
目の前に、記憶を補う 画像 が 忽然と現れれば、
それは 至福の時となります。
いや、内容に依っては、忘れたいのに! と言う事もあるかも ... 。
そして、 自分で無く、 他人に見せる と言う観点からは、
自分の経験を お裾分け する と言う事になるのでしょうか。
見せてあげる。 見て貰う。.
うわぁ、凄い!。 へぇ~。 あはは。 うっとり。 無言(感動)。.
時間や場所を超越して、
光景 や 人物 を 記録する。
瞬間 や 短期間 の出来事を 保存する。
全て、これらは、後から見る為 です。
NASA のもの等、 これの最たるものでしょうね。
極めて高い 報道性 普遍性 と捉えても良いかも、 です。
でも、写真には落とし穴が存在します。
カメラを弄って来られた方はご経験がある事と存じます。
そう、撮った場面の記憶は カメラを持たない時の記憶に比べ、薄まる! のです。
撮った記憶は明瞭でも、 撮った光景は、 既に 朧です。
頭の中に記憶される一部を 写真として 残した安堵感からか、 印象が薄くなります。
脳は、 撮ってある と認識すれば、 少しでも楽をしようと、細部の記憶を省略したがります。
瞼に焼き付く程の 絶景 の時は、 撮影をひと先ず忘れ、 記憶に刻み込むのも良いかもです。
カメラを持たない時に出会わせた 絶景 は、ひとえに、強烈 なものです。
それは、持って来れば良かった! と言う 後悔 と 抱き合わせ かも知れませんが。
それから、もうひとつ。
写真は余裕が無ければ撮れないと言う事。
極論になりますが、
先程の NASA さま のサイトを見ていて思い出しました。
映画で有名な Apollo 13 です。
無事、月面探査ミッションから地球へ帰還する訳ですが、
途中出喰わすアクシデントから、 生命維持に不要なものを全て廃棄しての帰還です。
従って、Apollo 13 の宇宙での写真はかなり少ないです。 (正確には 月面探査を中止しての帰還なので ... 。)
当時はフィルムでしょうから、ミッションの最中に電送すると言う手段は使えなかった筈です。
事故を記録した写真(かなりの部分拡大)は有名ですが、 他の宇宙でのものは 公開されていません。
無事、持ち帰った 生の 120 ロールフィルムが在って始めて世に出る訳ですから、
或いは、撮影したものを廃棄した可能性があるのかも知れません ... 。
これ程ではなくても、 残したいと思っても、 心と躰とに 余裕が無ければ 写真にはなりません。
撮影する気力が出ない時もあります。
気力があっても、 様々な要因で、撮影出来ない事もあります。
それは、カメラのシャッターボタンを押せば、写真としては残りますが、
無理をして、残したくないものを撮っても しょうがない! と思いませんか?。
そして、最後に。
また、NASA さま のサイトを見ていて気付きました。
これ程、見る者に感動を与える 画像 達ですが、
これらは、 プロが撮ったものでも ハイアマチュアが撮ったものでもありません。
初期の頃は、 極限られた宇宙飛行士の方々が撮影されたものです。
それも、機材は、HASSELBLAD と言う マニュアル操作のプロ用機材です。
これが選ばれたのは、一般人にも扱い易いその操作性 と後から知りました。
今では、InternatinalSpaceStation の中は 高級プロ用機材が溢れ返っている様です。
でも、それを使っているのは、やはり、普通の方々です。
でも、どうですか、 その写真の出来栄えの素晴らしい事!。
最近こそ、 カメラは、やれ、オート だの 自動なにがし だの のオンパレードですが、
初期の頃は 完全にユーザー任せです。
勿論、 公開に当たって、 選りすぐり、編集しての事 とは思いますが、
それを別にしても、 それらの訴え掛ける 説得力の強大な事!。
これらを撮影した方々が、以前のもの(過去の写真)をご覧になっていて、
その影響下で、カメラを構えていると思うのが自然ですが、
決して、 撮影技術の未熟さや センスの良し悪しに 目が行かない事も注目すべきでしょう。
逆を言えば、 初期の 宇宙飛行士の方々の 写真のセンス に 脱帽 ですね。
単に、記録や学術的な意味での写真を超えた 感動 が伝わって来る のではないですか。
撮影者の 嬉々として シャッターボタンを押している姿が浮かぶ様です。
或いは、 何かに憑り付かれた様に 夢中になる姿が 想像出来ます。
残して置かなければ!。
それ程、 被写体の持つ魅力 が 凄い と言う事の 裏返し ですね。
そして、
カメラが誕生して暫くの間、 撮影されると魂が抜かれる と怖れた方々がいらっしゃった事も理解出来ますね。
理解の範疇を越した出来事 だったからでしょう。
自分の一部が、 フィルム(乾板) 若しくは 四角い紙 の中に封じ込められてしまう と。
魔法の様な もの、 それが 写真 です。
この 魔法 は 今では それは 素晴らしい! もの を通り越して、 極 当たり前の もの になりました。
やはり、 写真の原点は 残して置きたい と言う願望 なのです。
写真に乾杯!。
PS:
これを書く きっかけ は、とある CD をレンタルした事です。
レコードは持っているのですが、 PC に取り込みたいと借りたのですが ... 。
その中の一曲が 当時の TV コマーシャルの テーマソングでした。 放映時は別の方が歌唱。.
某カメラメーカーさんの 新型モデル キャンペーン の 簡単に撮影出来るよ と言うのが そのテーマです。
曲名は どんなときも どんなときも どんなときも 。
作詞: 糸井重里 さま 作曲: 矢野顕子 さま 歌唱: 矢野顕子 さま の 1982 年 の曲。
♪ すこしだけ きみは ぼくのもの ... ♪
♪ ぼくの きみを のこしたい ... ♪.
流石、 良く出来た 歌詞と曲 です。 やっぱり、写真の原点は これ! だと ... 。
そして、 ここでの きみ は 人物に限らず 各人夫々の見た 光景 でもある と考えたいと思います。
瞳に焼き付く もの を もの(データ) として 残そう ではありませんか。 .
松任谷由実の新しい曲「Smile for me」に、
返信削除「今まで 誰にも 見せない表情 それは レンズのこちら側 私がいるからね」
河合 奈保子じゃないですよ。
聞いたときに耳に残りました。私はこんな感じかな。
hotoimu
hotoimu さま コメントありがとうございます。
削除なるほど。 Smile for me ですか ... 。 (文章、お上手! 座布団1枚 !!!)
私にだけ見せる その表情。
出来れば、 構えない 自然な 姿が 撮りたいですね ... 。