2018年1月12日金曜日

写真 色表現の難しさ

色。
この難しい世界は、時折、難題を持ち掛けます。
どうしても複数色を正確に出したければ ... 。
それは、無理難題に近いのかも知れません。


以前、適正露光に関して、次の様な投稿を書いています。

写真と露出補正とカメラの仕組み
http://shiroyuki-mot-says.blogspot.com/2012/08/camera-ev.html
写真と適正露出 [初心者向け]
http://shiroyuki-mot-says.blogspot.com/2016/02/photo-notice-proper-exposure.html

RGB (赤・緑・青/光の三原色) は全てアンダーに、
CMY (シアン・マゼンタ・イエロー/色の三原色) は全てオーバーに、
でしたね。
更に、黒は よりアンダーに、白は よりオーバーに、 でした。

そして、収まらない範囲がある場合には、何かを捨てて何かを集中的に補正しましょう でした。
でも、原則を外しても、面白い 絵 が記録される事もある のでしたね。


これらは ひとつの色 についての考察です。
では、次のステップに行きましょう。


性格の異なる複数色を正確に見せたい場合、頭を抱えるケースも出て来ます。
アンダーに補正しないと 明るく写る色と、
オーバーに補正しないと 暗く写る色との 組み合わせの場合 です。
例えば、白と赤 でしょうか。

双方の条件を満たす 露光値 は ... 無い筈です。
こちらを立てれば、あちらが立たず ... になっている筈です。
厳しいですね。

仮に、撮影後の編集でカバーしようとしても、
画像全体を同一の値で処理すれば、 似た様な状況に見舞われます。
多少の改善が見込まれても、バランスを崩し易くなっている事でしょう。
またもや、
こちらを立てれば、あちらが立たず ... でしょう。
困りますね。


さて、どうしたものか?。
撮影時の鉄則は、 溢れる情報は切り捨てる! です。
そして、可能な限り、諧調を残す! でもあります。
一般的には、どちらかを選択し、他方は多少の眼を瞑る で対応します。
これで、我慢が行けば OK なのですが、
どうしても両立して欲しい場合だってあります。

そんな時には、画像編集のお世話になる訳です。
勿論、画像をひと括りにして一発で済まそう等と考えてはいけません。
撮影時と似たり寄ったりの繰り返しになって仕舞います。
でも、試して見る価値が無い とは言いません。   特に、ホワイトバランスや彩度絡み。.

やはり、此処では、正確に色を表現したい場所を 選択範囲 として選び出し、
その部分だけ、
コントラストやトーンカーブを利用して、目的の色に近付ける事になるでしょう。

  後からこの様に調整する事が決まっている場合には、
  諧調確保の為にも、極端な 補正 を施した撮影は避けて置きます。

では、例で見て行きましょう。
紅白の幕の写真 です。

別に、深く考え無く共、カメラはその撮影範囲にある光の情報を ある程度 正確に処理します。
そう、撮影時に、オーバーが望ましい色とアンダーが望ましい色とが 同じ様な比率で 大きく占めていれば、
自然と、その平均的な値になっている筈です。
言い換えれば、
白は 灰色っぽく、 赤は 薄い色で、 記録されている筈です。

最初、この2色双方を活かすのは簡単な編集では無理と分かっていましたので、
白を 少しだけ 白く見せる様に 加工 して 投稿公開 しました。

それが、 MTT#0455 紅白 祝い事の印 です。

これに対して、先述した様に、選択範囲を取って、色を優先して加工しました。
加工の程度が大きいので、 編集専用の Blog で公開した訳です。

それが、 MGT#0129 紅白 色は難しい! です。

見較べて見て下さい。
恐らく、誇張気味に加工した 後者 が 一般受け するのだろうと思います。
しかし、同時に、こうも思うのです。
あれっ、 ほんの少し 不自然! と。

そうです。
長い間に染み付いた 写真の経験 から、 撮影時にこの様な絵が出て来ない事を知っているからですね。
其処を感じ取った 我が感性 が 不自然さ として反応する訳です。
実際のものは そうであった としても! です。
いえ、 実際には、 その 不自然な方が より 実物に近い 筈なのですが ... 。
困惑。
戸惑い。

そして、忘れてはいけないのが、
光の持っている季節感や臨場感です。
どうしても、記憶の中の 或いは 認識している 色 は 派手目 の傾向があります。
加工によるバランスを崩す恐れ は良く言われる事ですが、
雰囲気を潰す(変える)事も頭の片隅に置くべきでしょう。
編集で 写真 を台無しにしてしまう のは 避けたいですから ね。

写真の経験 は、記録して来た積み重ね なのは勿論ですが、切り捨てて来た 歴史 でもあります。
それが 躰に滲み込んでいる のですね。
デジタル化になって、複雑な編集も 割と簡単に行える様になりましたが、
アナログ時代は 焼き込み覆い焼き のテクニックは限定的でした。 (特にカラーでは)
矛盾する両者が両立している 絵 は 馴染みが無い(薄い)のです。

仮に、この後者の様な写真を 撮影時に得ようとすれば、
もっと光量が強く、白は更に白く、赤は更に濃くないと、 こうは写らない筈です。
その辺りが、仄かな違和感 のアンテナが働いた原因かも知れませんね。

この 変な感覚 を お分かり戴ける 方は少ない とも思うのですが、
それが 写真 の 本質 なのでしょう。

   制限があって、切り捨てなければいけないからこそ、
   印象に残る 絵 が紡がれているのかも知れませんよ!。

   そして、より実物に近い と 写真的でなくなる のかも知れませんね。
   この 実物に近い が、客観的で無く、主観に基づいている のが 落とし穴 です。



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