写真。 まぁ、上級者と書きたい処ですが、
せいぜい、中級者 と言う事にして置きます。
コロナ禍もあって、近場で済ます事が増えました。
でも、 其処で こんな悩み が ... 。
長年、写真をやっていると、
カメラを構えれば、そこそこの絵 にする事が可能になりますね。
こう撮れば、写真らしくなる が 身に沁み込んでいます。
謂わば、自分の中の 方程式 が出来上がっていて、
撮りに行きさえすれば、まぁまぁ の絵が溜まります。
撮りに行きさえすれば ... ですが。
渾身の一枚 ではありませんが、
発表するには十分 (?) のレベルのものが量産 (?) 出来る訳で ... 。
其処で ... 疑問?。
其れで 良いのか?。
後から見て、
何だか、心が籠っていない 気 がするのです。
感動が薄い と言うか?、
惰性で撮ったもの と言うか?、
インパクトに欠ける と言うか? ... 。
知らぬ場所に出掛ければ、好奇心や目新しさも手伝って、
写欲が増幅するのは分かっています。
或る意味、機材の新調も似た効果を齎します。
そして、出たがり病 (?) が巻き起こります。
でも、ご時世柄、
其れも 如何なものか? と不安が過ります。
さて、
撮る時は、感動を大事にはしている心算です。
出会う 楽しさ
見付ける 楽しさ。
切り取る 楽しさ。
ときめき。
其れが 自分のテーマ なのですけれど ... 。
写真には お決まりの場所や時間 と呼ばれるものがあります。
決定的なスポット だとか、
あの場所で 此の時期の此の時間帯 だとか ... 。
でも、其れらは、謂わば、万人向けの 方程式。
誰が撮っても、似た様な 傑作 を生む 魔法。
でも、其れって、自分だけのものでは無いですよね。
自分らしさに欠ける気もしますし、
此の コロナ禍の最中、
皆が集まる事の怖さも同居して仕舞います。
そして、良く語られるのが、
素材は身近に幾らでも転がっている ... と言う 言葉。
言うは易し です。
実際に、して見れば、分かります。
そうは、容易く、転がってはいません。
凡作の山を積み上げるのが せいぜい でしょう。
でも、
見付けるのは 楽しい もの。
そう思い直して、
心を奮い立たせてはいるのですが ... 。
そう、
写真にする のでは無く、
写真に残して置きたいものを見付ける、
其れに尽きる気もします。
感受性が鈍れば、ハートの無い絵 が増えるばかり。
どうせ残すなら、心の籠ったもの を残したいものです。
其れには、心をニュートラルにして、
廻りを良く見て、アンテナの感度を上げる事、 かも。
調子が良い時なら、
其れは、向こうから、おいでおいで と、手招きしてくれる筈。
過去の経験から、
景色に呼ばれる事 は 本当に あるのですから。
また、
カメラを構えても、つまらねぇ~、と、止める機会が多いのは、
調子が良い証拠 なのでした。
絶好調なら、
後から振り返ると、
無駄ゴマ すら挟まず、 宝の山 ですから。
臨機応変!、と心に刻み、
写真ライフを満喫しましょうか?。
最後に、
良い光景に出会える事を祈っています!。
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